ヒーローは存在するのか (1)

shinka2007-08-14


ここら辺で、一度ちゃんとヒーローというものを考え直さなければならないと感じている。
段階的に進めるのではなく、散文的に進めるのでブログに書くことにする。

昨今の仮面ライダーの戦い方というのは如何なものだろう。
特に『電王』のメインライダーであるモモタロスの戦い方はどう見ても輩だ。鉄パイプを振り回しているチンピラにしか見えず、どう見えてもカッコいいとは思えない。
他のライダー達もキンタロス以外では斜に構えて、まるで敵であるモンスター達を苛めているようにも見える。

では、戦い方がカッコ良ければいいのか。例えば前シリーズの『カブト』は、基本的にカウンタータイプで、敵の攻撃を寸前で受け流したり、裏拳で攻撃したりとスタイリッシュでカッコ良い。しかし、これも余裕や嫌味が見えて気に食わない。

戦い方と言えば、もちろん『555』は外せない。このライダーとても現在っ子というか全体的にやる気がない。戦いの最中の必殺技寸前の場面では膝に手を乗せ休んでいるようなポーズすら取る。確かにカッコ良いかもしれないが、倒されるモンスターが可哀想だ。

私は別に古典的なものを保護しようとしているわけではない。古典的なものとは、敵との戦いに必至に挑み、自身も傷つきながらも何とか勝利するという形式についてである。私がこのライダーの戦い方について考える上で、その中心に据えているのは、それを視聴して育つ子供達の気持ちを考えたものである。
昨今のライダー達も現代的なアニメの形式から外れず、普通の人間がベルトを手にして強くなる。私はこの点において非常に危惧している。この点が現代の若者の悪い要素全てを生み出しているのではないかと考えている程だ。
この考えは今回追置いとくとして、昨今のライダーの戦い方が現在の子供達に与える影響を考えるに、全く持って自身が傷つくという要素がないのだ。戦いをするに当たって傷つかないことなどない。誰かを傷つけるというのは、それと同じぐらい自分も傷つかなくてはいけない。それこそナイフを持ち出しながら、自身が刺される事を予想できない馬鹿者が生まれてしまうのだ。
そこで、先ほど揚げたライダーの戦い方を考えて欲しい。輩のように棒を振り回し−あるいは踊りながら銃を撃ち捲くり−、完全俺様主義で余裕ぶっこきながらカウンターを狙い、果てはやる気のない。そんな奴らメッチャ怖い。というかそんな気持ちで戦おうとしたら絶対負ける!そして戦わず、負けず、失敗したことも傷ついたこともないと思っている若者を又しても量産し続けるのだ。

私はこのような点に対して非常に危惧している。
しかし、そのような意味で真剣に考えてくれたのは平成ライダーにおいては正に『響鬼』だけではないだろうか。