『ALWAYS 三丁目の夕日 監督・脚本・VFX / 山崎貴 』

shinka2005-12-22


全ての表現方法はやはり、手段であり道具であり、それ自体が主題になる事はおかしい。
映画か映画じゃないか、その議論はまだまだ続く。
本来、僕の中でその討論は苦しいものであった。
何がそう言わしめるのか、何故それが駄目なのか。常に暗中模索。
しかしながら、今回においてはその議論は楽しいものであった。
フォーマット的には、これはかなり映画から遠い所にあると思う。
殆どと言うほどのVFX、しかも現実的にありえない事から起こる気持ち悪いカメラワーク、デジタル映像をわざとフィルムぽくし、しかし暗転はノンリニア特有の本当の真っ黒がスクリーンを覆う。
しかしながら、それでも私これを映画と呼びたい。
それは、この映画が映画館自体の空気すら操れる作品だからだ。
私は感じた。
劇場のバラバラだった観客達が映画という一つの寄代を介して補完されゆく。
久しぶりに目に見えないものを見ると言うリアルを感じたのだ。
おもしろい話だ。
VFXによりあの時代の街もみ未完の東京タワーも紙飛行機もトカゲも蛾も・・・目で見える形になっているのに、
その作品から感じるものの多くは、それ以外の目に見えないもの達ばかり。
そしてその不在の存在を通して、映画は空間になり、私達は映画になる。
その時代を生きた。
なんて事は言わない。と言うよりは
その時代になったのだ。

夕日はいつでも綺麗だ。
昔も今も変わらず、あの太陽は輝いている。
町並みも概念もすっかり変わってしまったけれども、いつまでもあるものもある。
「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」では唯あの時代は良かったっと、イエスタデーワんスモアは言っていたけれども、どうだろうか。本当は何も変わっていないんじゃないかという思いもある。唯僕らはいつの間にかに恐れていた未来を自分たちに当てはじめているだけなのかもしれない。