続・・・“女王”な教室

shinka2005-07-24


四話を見ました。もう、どうしようもない程辛いです。本当に救いが無い。まるで、昼ドラを煎餅を食べながら「あら、やだ!」と言う主婦のように、僕もまた次に予測される過酷な展開に目をふさいでいました。全く、見られない。
次回予告でも、今後の展開はもっと過酷になりそうやし、全くどうなるんやろう。

それでですね、見ているときに嗚呼、心が崩壊してゆくと思っていたんですが、この感覚どっかであったなぁとふと感じまして、思い返してみるとありました。あの救いの無い展開、見てられない結末、希望の無い世界、それはまるであの一世を風靡した野島伸司作品のようだ!ということに気づいたのです。
野島作品の場合、まるで神のごとく究極的に登場人物達をどん底に落とし、世の中の無駄で汚いものをドンドン出してゆくことでそれら不純物をそぎ落とし、最終的に残った純粋なものだったり、人の力・可能性だったりを言いたいのだと解釈している。
では、この作品もそうなのだろうか。もし、そうだったとしてもそれらが小学生間で行われることによりさらに、その残酷さ過酷さがより浮きだってしまう。だから余計に見てられない。「打ち切り」を希望する声もわからないでもないが、考えてみるとそこまでテレビの力というのは凄いことなのかという別のテーマに考えがいってしまた。

今日、フジでは2□時間テレビが例年通り飽きもせずやっているが、当然見るわけもなく、女王の教室を見ていた。ドラマが終わり、フジを見てみるとツルベーが全身黄金になってなんかテレビのことを言っていた。こんな風にメディアがその自分自体を問題にするテーマが出てきたのはここ最近のことだが、何故起きているのだろうか。そろそろ、みんなテレビが力を持ちすぎである、仮想の力量だということを認識してきたのだろうか。それとも何か大きな事件でもあったのか?あれか?なぁ、つくねよ教えてくれ。何故、テレビはこうなった!?テレビ好き子が数いれど、俺はお前に敵う奴を見たことが無い。教えてく。