『華氏911』

近年着目されつつあるドキュメンタリー。しかし、蓋を開けてみれば実際はドキュメンタリーの面影はなく、まるでゼミで発表するスライド写真にBGMを流し込んでいるに過ぎないと気付くであろう。ドキュメンタリーの一つの捕らえ方として、その作品を製作(制作)・上映するという行為は被写体に対して何らかの加害者になるという事がある。そして、どうあがいて見せたとしても我々は公平中立的立場からは作品を発表できない。故に誰かを傷つけているし、又それを自覚しなくてはいけない。
しかしだ、この作品からは何も感じれない。膨大な資料をエレガンスな演出によって閲覧しているようだ。映画の中では何百人というひとが嘆き、苦しみ、悲しんでいる。だが、それを見ている−少なくても僕は−何も感じない。何も思えない。それはこのドキュメンタリーが結局誰一人として傷つけようとしてないからだ。言い換えよう。あるいは監督が誰一人として傷つけていないからだ。
この映画の構成は簡単だ。善悪の逆転、もっと言えばブッシュ批判だ。しかし、監督自身が本当に弾圧したいのは誰か?また本当に怒っているのか?自分も苦しんでいるのか?そういった製作者の感情が見えてこないのである。だから僕にはこの作品でブッシュ批判をしているように見えないし、また誰一人として傷つけているようには見えないのだ。そしてそんなものはドキュメンタリーじゃない。六時のアニメである。
そしてあのラスト。前回の『ボーリング・フォー・コロンバイン』を引きずっているかの如くの展開。あの作品でムーアはある種の黄金パターンを作り上げてしまった。資料の配布⇒独自の調査結果⇒軽快な音楽と風刺をきかした映像⇒抵抗・運動・・・そして、結局なにも変わらなかったけど俺はやったぞ!という自己満足。しかも最後の自己満足の演出でさえも自分からやっているようには思えないし、明らかに第三者を意識し、さらに監督自身も結果がどうなるかわかっている。そんなもので満足できるか!
もっとエゴイズムに撮れ!わがままに繋げ!僕は思うのだ、ドキュメンタリーは一人称の物語だ!だから自分が出てしまうことを自粛するなんて行為は絶対に作品をおもしろくなくさせる。今作はまるで去年つくった私のドキュメンタリー作品を見ているような感じがした。それほどなのだ、あんなもの学生だって作れるよ。



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