『A /森達也』

なんと言ってもやはりあのシーンの演出だろう。あれには参った。凄まじく感動した。
ラストへ向かう道すがら、監督の森の人格が現れ始める。カメラに写るようになり、発言するようになり、また被写体をどこかに導こうかともする。製作者と被写体、加害者と被害者が密接に絡まり始まり、被写体は悩み始める。撮るという行為は単純な記録行為ではなく、被写体に文字通り光を与えてしまう。鈍く輝き始めた被写体は“誰か”の指示で動くようになり、それはストーリーを加速させる。我々はその一部を覗いているに過ぎない。傍観者なのだ。しかし、それなのに我々はその加速するモーターをただ見ている行為に我慢ならず、声を出したくなる。感情が揺れている。
これで終わりではないはずだ。それにこのラストは誰が仕向けたものか?被写体が自ら望んだことか?作品を考える監督の仕業か?あるいは・・・