その眼をひらけっ!!

実家に帰った。親に逢った。将来の話をした。渋い顔をされた。やはりそうかと安心した。
僕は始めて聞かされたのだが、やはり自分と同じ公務員になって欲しいようだ。将来のこと、働くこととは遊びではないこと、親はすでに定年をむかえてること、親父の東京上京そして失敗談、親戚の立派な社会人の親孝行話と散々言われた。結局、大学は辞めないで、しかも四年で卒業して欲しいとの事。それについてはココに来る前に僕もそう落ちついていたので反論はない。
というか又しても薄々とは気付いていたのである。結局のところ僕はただ逃げていたのだ。映画に逃げていたのだ。大学での成績の悪さを映画制作のせいにし、金銭の荒さを映画制作のせいにし、大学に行かない理由を今勉強していることには興味がなくそれは映画の勉強がしたいからと又映画のせいにし、就活の忙しさと厳しさからにげるために映画業界を使った。多分、このままじゃ専門学校にいったところでも又勉強しないで興味がないとか言うに違いない。専門だって行ったからって確実に自分の作品のクオリティーが上がるとは思えない。機材や設備がなくたって勉強しだい、努力しだいでどうにでもなる。勉強するということは実はどこだって出来るのだ。例えば今僕が大学で学んでいることは商学。一見映画とは無縁の世界かもしれないが、考えれば監督としての資金のやりくり、映画はやはり興業であることを考えみれば無駄な学問ではない。むしろ的を射てるかもしれない。なんだってそうだ。利用しようと思えば何だって応用は出来る。大切なことはその道に完全に向かうことではなく、自分の生活の中からその道を見つけ出すことである。自分と道とを文字通り繋げる事が重要なのである。
そう、今の僕は映画に逃げていたのである。利用していたのである。最低だ。わかっている。それはわかっている。それは改めなくてはいけない。
最後に一言だけ親が言った。“何をしてもいい。おまえのやりたい事をすればいい。おまえの人生だ。けれどもな将来親兄弟に金をせびるような人だけになるな”良くあるような台詞だが、これが一番堪えた。僕らがテレビや本の中にしか登場しないと思っていたお金をせびりにくる男。一定期おきに表れ家族を落ち込ませるちょっと悪い遠縁のおじさん。そんな描いたような男が突然、僕の人生に登場し、しかももしかしたら自分の将来なのかも知れないという事実は相当に落ちむ。あぁそうか。大人の最低上限はお金をもらわずに生きるということか。確かにどんだけ迷惑をかけても自分だけで成り立っていればそれはそれで筋が通っている。実のところ僕は金遣いがもの凄く激しい。いまだに家賃を二ヶ月滞納している。自分でも何故金がないのか、何に使ったのかわからにぐらいだ。そんなこともあってお金のことを言われると人一倍敏感になる。今回もお金がなくて帰れなくて買える当日にお金を振り込んでもらっていた。しかも往復分のお金をもらいながら片道だけで既にお金はなくなっていた。切符を往復分買ったわけでもないのに、お金がないのだ。ほんとどうしようもない男だ。ろくじゃねぇ。
そんなわけで帰り際も交通費をもらった。さらに親からは別々におとうさんに内緒・お母さんには内緒と二万ずつぐらい又もらってしまった。おいおい、先程の発言はなんだったんだ?しかも昨日で21歳になった息子によ。ほんとあんたらどんだけ自分の子供に甘いんだよ。そして俺はどんだけ甘ちゃんなんだよ。ほんろどうしようもない男だ。ろくじゃねぇ。
ほんと泣けてくる。情けない、嗚呼情けないって言ったらありゃしないよ、おまえさん。その親からもらった六万円は僕にとっては北の国からの潤が握り締める泥のついた一万円並みに僕を辱め、そして親に感謝するものであった。
早く、早く大人になりたい。そう思った。







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