彷徨う二十歳

行き先を決めたものはいいが、正直やはり不安だった。
やはり、大学は出とくべきではないか?もしその道が駄目な時のために保険を掛けとくべきではないか?そもそも才能なんてないのではないか?しかもやる気ですら今は感じれないいぞ?という一億人の人間が考えそうな自問自答を繰り返していた。だもんで、何人かの友人に相談をしていた(もちろん、言ってもいない人に励まされておめぇに用はねぇよとか思った事もある)。皆、一様に難色を示す。それはそうだ。どう考えても薦められたものではない。もし、薦めたとしてもそれは結局他人の生き方には興味がないということだ。拒むというのはそれだけ考えてくれてるということだし、もしくは人の人生に関して意見する大きさに耐えられないのどちらかである。しかし、皆僕の意思を曲げるほどの力はなかった。
でも一つだけ残ったものがある。ある先輩女性の言葉である。“進路について決めなきゃいけないときは絶対に来る。けれどもそれは出来るだけ伸ばしたほうがいい”言葉の表面だけ受け取るのならば、なんてネガティブな意見だろうと思うわれるかもしれない。一見してピーターパン症候群のような雰囲気だが、多分そうではない。彼女の言わんとしていることはこうではないだろうか。いつか卒業とか時期とかで自分の進路を決めなくてはいけない時が来る。しかし、実はそんなものは唯の節目であり、実際は社会への進路表提出〆切ではない。実際はもっと自由なのである。けれどもそれはどんな形で我々の前に表れるかはわからない。だから人は時として早すぎたり、遅すぎたりの決断をする。そうやって間違わないように僕らは“出来るだけ”その決断の時期を延ばす試みをしてみるのだ。出来るだけである。そうすると、あぁもうここが潮時だなという時期が自ずとわかってくる。多分それが本当の意味での〆切であると同時に自分への充電完了時期なのである。
つまりは自分を見つめ直す時期を持てという事を言いたかったんではないだろうか。その意見は理解よりも先に、物凄く納得できた。その彼女の短い言葉が僕の中で意味を帯び膨らんでゆく。ゆっくりと、ゆっくりと。そして実家に帰る時ときには、既に結構“とりあえず大学四年はいっとくか”という気持ちに落ち着いていた。

さて、遡ることだが、あのような目標を立てた理由にはもう一つ裏がある。私は親に対して“大学には遊びに行く”と公言し、そのために学費(言うならば遊び賃)を四年分頂いて生活していることになる。親からは四年で一千万円もらう事になっており、それ以上は出してもらえない。ならば、今すぐにでも大学を辞めれば一年半分の金額が浮くことになり、それを次の学校の文字通り学費に当てられないだろうかと考えたわけである。そうすれば着実に二年後のスタートよりは楽になるし、利にかなっていると思った。しかし、この考えもスポンサーである親の承諾が必要となってくる。そして僕は実家に帰った。自分の将来のプレゼンテーションをするために・・・・