世界を見た日、僕は(後編)

事の顛末は先月の愛知万博訪問の際にまで遡ります。
あの日は二時ぐらいからの予定で映画祭があり、そこに出席するために用も興味もない万博にきていたのだ。だから、時間も中途半端な開始時間というのもあいまってほとんど何も見なかったし入らなかった。そりゃー超伝導リニアとか“もしも月がなかったら館”とかワクワクするような出し物はあったけど、映画祭に力を残していた。
結局、映画祭は四時近くまで遅れた始まった。その間、僕らは会場の前で待つことになり、強風によって髪型も気持ちもボロボロだった。映画祭は・・・はっきり言って“最悪”に近かった。先ず、開始時間が大幅に遅れた事、第二に上映中のブルーバックの表示やビデオ機の動作表示、そして当初予定していたプログラムの大幅変更による未上映作品が出てしまった事。そしてコレに僕の作品も入っていた。ねぇ、最悪でしょ?上映会のレベル云々の話をするまえに、最低限のことが出来ていない。全くお話にならない上映会だった。この時に思った。良く上映会は何ができたら成功かという話になる時がある。作品のクオリティーか?入場者数か?上映中に進行がミスをしないことか?会場の内装か?客に対するサービスか?項目はいくらでも挙げられる。しかし、それ以前に最低限として“当初予定していたことを全て実施する”という事が当たり前のことではあるが、一つに成功の基準としてあるということ。そう思った。反面教師というものか。しかし、そういったことは他大学の上映会などで学びたかった。企業が実施する映画祭などからは決して考えたくないことであった。
さて、そのような最悪な映画祭ではあったが、作品は素晴らしかった。作品は応募作品と紹介作品の二つがあった。応募作品はこの映画祭に応募した作品達で、先程述べたように時間の関係で各部門(一般作品部門・卒業制作部門・ワンミニッツ部門)のグランプリ作品しかながれなかったが、この中の卒業制作部門のグランプリ作品は凄かった。親と子そして卒業という有り勝ちなテーマで会ったが、音や見せ方そして撮り続ける根気という点では本当に凄かったし、良く表現できていたと思う。何より“レベルの差”を痛烈に感じた。HDVで50m、役者の使用と演技力、などなど僕らの現状では出来ないことばかり。こればっかりはいくら独学で勉強しても追いつかない分野。行動力があれば出来る話かもしれないが、正直そういう環境にいる彼らを憎いと思ったし悔しかった。残りの二つの部門の作品に関しては、「くだらない」と「ごめん、わかんなかった」という感想が正直なところで今ではあまり覚えてない。
けれども、僕を本当のビックリさせて興奮させたのは招待作品のほうである。招待作品は全部で四つあったのだがその全てがただ“おもしろかった”のである!良く、自主映画の世界ではこれは見せられるものか、見せられないものかという話が作品について成される場合がある。しかし、これらの作品は軽々しくそのレベルを飛び越え、既に商業映画としてもうおもしろいかおもしろくないかという基準が平然とあり、さらにおもしろいものなのである!スゲェ〜!!って思った。もう、カット割りとかあら捜しとかどうやって撮ってんのかな?なんて気にして見ないで、普通に映画として安心して見てしまった。ラストには大笑いしたやつもあるし、あまりの無茶ぷりに腰が抜けたやつもある。おもしろかった。観客を安心して鑑賞させるほどのレベルが先ず目に付く。先程の卒業制作作品など比ではない。キャスティングも技術も構成も規模も・・・そしてやる気も全てのレベルが違っていた。分かりやすく言えば警察や消防局も動かし、あるいは小道具一つとっても違うのだ。悔しいなんて話ではない、圧巻されてしまったのである。

映画祭終了後、近くの飲食店を貸しきってちょっとしたパーティが開かれた。(余談ではあるがこの映画祭ではその司会・進行を有名大学のミス・キャンパス達が勤めていて本当にお綺麗な方々であったし、中にはアナウンサーを目指している人もいるのかアナウンスが上手な人もいた。その彼女たちもパーティーに参加していたのだが、やっぱ凄いね。有名な人やお偉いさん達に近付きお酌や楽しくお喋りにぎょうじていた。いや、お喋りというよりも自分のプロモーション・宣伝行為に近かった。それぐらいにまで彼女たちの動作はあからさまだし、目立つ。やっぱミス・キャンとかなると行く行くはアナウンサーかタレントでしょ?今から自分を売り込むなんて当たり前か。俺なんか彼女たちに話しかけても無視だよ?いや、ほんとに無視されたんだってば。けれど全然腹が立たなかった。それぐらい本当に気持ちがいいくらい彼女たちの行動はわかりやすかったし、それはそれで見ていてさっぱとしていて蒼々しかった。なるほど、女というのこういう生き物かと納得し、THE女というのは多分こうなんだろうなと確信した。自分が女だとも美しいともわかっており、それを最大限に利用して成功を収めようとする彼女たちに姿勢は僕に“生”ということを強く意識させ、とても素晴らしいと思った。
さて、話を戻そう。
そのパーティーで大会委員長であるとある監督さんと話が出来た。彼女は「映画祭でおもしろかったのは招待作品だけね」と言った。そして何故そうなのかを説明してくれた。日本の学生映画監督たちは裕福である。だからお金がかかる映画制作を直接金銭に結びつかなくても監督できるし、またその日本の裕福さが近年の自主映画ブームを支えていると言っても過言ではない。しかしながら、それが今の学生映画ひいては日本映画を駄目にしている。つまり本気ではないのだ。面白半分、記念的行為、あるいは自らの悩みやフラストレーションのはけ口として自主映画が成り立ってしまっている。そんな作品が−自分だけに興味がなく映画をたくさん見ない彼らが作る作品−おもろいわけでない。「招待作品みたでしょ?おもしろかったね。そして何よりも本気が伝わってこなかった?」彼らは本気で映画を目指している。そして興味本位で造りどこかの映画祭で賞でも取れたらいいなと思っている日本の学生監督は違い、本気で『世界を相手に』映画を造っている。だからおもろいのだ。
彼女は僕に聞いた。「君は将来、監督になるの?」僕は言葉に詰まってしまった。本来ならば、部活や友人たちに対して「俺は監督になる!」なんて言っていた俺は今はそうであると言えないでいる。「そこなのよね。」と彼女が言う。
結局、僕も彼女の言うところの学生監督の一人であることに気付かされた。調子にのっていたのである。作品をつくり、おもしろいと言われ、賞を取り、周りでは誰も僕を否定できない一連の状況に僕は完全に調子に乗り監督を夢見ていた。だからあの時に「はい。」とった一言さえもいえなかったのである。薄々は気付いていた。自分が有頂天になっている事も、このままでは監督は無論映画業界にもいけないことも。けれどもそんな状況を心地よいと思い、まだ夢をみさしてくれと自分で自分を偽造していたのだ。ただ、ただ悔しかった。
負けるものか。さぁ、変えなくていけない。だから僕はこんな自分に踏ん切りをつけよと思った。そこに映画祭で見たレベルの差を思い出した。これらの結果から僕は一つの回答を出した。“今すぐにでも大学を辞めて、専門か芸大に入りなおして映画を一から学びたい”半場自棄だったと思う。しかし、それが唯一の解決策に思えて他ならなかった。しかし、この考えも一ヵ月後には揺らぐことになる。