野ブタ。を隣町戦争で

最近、めっきっり本を読まなくなってしまった。そんな中でも読む本と言えば同じ歳ぐらいの俗に言う新人作家のもの。帯に〜賞最年少受賞とかなんやらかいてるそれです。なぜ、そんな本を読むのかというとまず、作家に対して自分のなかの欲求がなくなってしまっている事と、完全なる文章ではない言葉を読むことで自分の中の感覚を確認すると同時に、その作品を嘲笑したいのかもしれません。
だから、最近は千円ぐらいの本を買って、その日のうちの2、3時間で読んでしまうというスタイルなわけですが、僕はやはり本は一気に読まなくてはおもしろくないと思います。本も映画と同様、それを見る・読む環境をあらかじめセッティングして、さぁ読むぞ!とう心意気がないと完全に没頭することなんて出来っこわけない、俺の場合はね。
さて、最近読んだ本に二作も上記のような事なのですが、感想を。


冒頭の一文目でなんだこりゃ!?と衝撃を受けて、そしてそのままのチープで稚拙な表現で突き進む。学校という空間、キャラを演じなくてはサバイブ出来ない現状というテーマは昨今では使い古されて飽和状態なものだが、この作品は直接的な描画ないにもかかわならず、そこに浮かぶ埃や、指す光の加減まで想像させてくる。それを感じたとに、これは表面的な感覚で読んでいたら痛めにあうという恐怖を感じ、作者の才能には段々と興味と期待を持ち合わせていた。
そう考えてみると、この構成はどこかでに導こうとする作為的なものも感じる。話は核心に進む。主人公がその地位を失うシークエンスに正直やられたと思った。あんなににも警戒していたのにまんまと引っかかった。そして来るラストは今までのソレとは違ったていた。ハッピーでも、こうだ!と主張するわけでもなく、これはこうだった。じゃあ貴方は?と問われるような、言うなれば足場が崩れてゆくような感覚は作者の才能を認められずにはいられなかった。話は変わるが、この話を読んでいる時終始爆笑していた。帯にはこう書いてあった。世界の中心を読んで泣いている場合ではない。この本を読んで爆笑しなさい、そうすれば日本はもっとよくなる。日本?だったかな。どうであれ何かしらは良くなると僕もそう思った。



  • となり町戦争

この本はホント天才的だ。その描写、構成、テーマは全てが完璧である。
その淡々とした描写は筒井康隆を思い起こさせる。いや、僕としてはやはり村上春樹あるいはその透明性という観点だけ見れば星新一だろうか、そのような主人公が日々を日めくりカレンダーをめくるように淡々と過ごし、その後ろでこれもまた目に見えない戦争がタンタンと進んでゆく。現代の戦争という不透明性を町役場という公務的な場を利用し見事に表現されている。そのテーマ、構成、選ぶ言葉は全てが策師的であり、無駄がなく天才としか言えない。この作品のテーマは次の映画でやってみたとい思っていたことであり、悔しいという思いとやってくれたなという満足の交じり合った複雑な気持ちである。
この作品、お勧めである。