その一瞬を集めて

shinka2005-03-10

バイトの先輩がバイトを辞めることになった。なんだかんだお世話になった人だし、もう一年ぐらい立つのに未だバイト全員で食事会なんてことがなかったので、送別会を開きたいと思って、当人の了承を得て、バイト終わりに人りでお店を廻った。バイト先はオフィス街にあり、夜にもなるとネオンが瞬き、所々に居酒屋特有の淡い光を放ってその表情を変えてゆくのだけれども、やはりオフィス街というのは往々にして店が高級である。入っただけで緊張してしまうようなお店から、汚い店まであるのだが、それでも食べ放題+飲み放題の相場が四千〜五千円ぐらいする。大学生にとって飲み会なんて三千円でもブーブー言われるのに、四千なんて言ったら三次会まであると思われてしまう。どうしたものか。十件ぐらい廻って、やっとこさ三千円ぐらいになるお店を三件程見つけたが、それでも交渉が必要なようだ。やれやれ。


さて、そうして普段よりも遅い時間に帰っってみると、街が普段見ている表情ではないことに気付く。人も店も空気でさえも、まるで異国になってしまったような感覚に襲われてしまう。正直なところ、ちょいと落ち着かなかったというか怖かった。
でも、おもしろいものがたくさん見れた。中央郵便局からあがる黒い煙は、オフィス街の光をバックにしてか何故か日本の高度成長期を思わせたし、並び狂うタクシーはまるで夜の運動会のように滑稽に見えた。高層ビル群の一階に見える超高級レストランは、それを見ている自分がマッチ売りの少女になった気分を味あわせてくれたし、事故に駆けつけた警察官の顔はうはり“やれやれ”っていう表情をしていた。
そういったものにレンズを向けてシャッターを押す。カシャリ。携帯電話の電子音が巨大な街にこっそりと微笑むように笑う。
街はおもしろい。そこでは何もかもが生きていて、そして生きることを欲している。その活力の一瞬を悪戯にも似た遊戯で僕の電脳(携帯電話)の中に収める。夜の街はなんておもしいんだと気付けた日。でも、夜の風景を撮ろうとしたら、いくら1000代のフィルムを使用してもなかなか写し取ることは難しい。そこで活躍するのがデジタルカメラ。こいつはフィルムの再現を軽がるく超えやがる。それに関して後で述べるけども、それだけにチープであり、それはまた違ったジャンルの写真・・・というか視覚芸術だと思う。
携帯電話にデジタルカメラの機能が標準装備されるようになって、これからはだれでも芸術家になれる。僕の周りには一分間に600回以上の一瞬が存在している。これが一日なら?一年なら?そして世界中の人の一瞬を合わせたら?それはもう奇跡です。

ちなみに今日の一枚。梅田の歩道橋の上には色々なアーティストがいるのですが、そのなかで今日も若いバンドが軽々しもく自分の人生を歌っていて、あたりは陽気な感じだったのですが、そこでそのバンドの音に身をゆだねているおじいちゃんを発見。ちょいとした幸せだった。