shinka2004-02-23

今日は関西の大学の映画団体が主催するシネックの上映会に行ってきた。
今回は自分の←映画も上映されることになっており、少し緊張気味で行ったのだが、結論からいうと残念であった。全ての元凶は音についてである。スピーカーがよろしくないのか全作品音が割れていた。自分の作品の音割れもひどくせっかく音割れ部分直したのにほんと見てられない様だった。
見てられないと思ったときに、少し自分の作品に対して失礼だなと思った。まるで見捨てたかのように。この場で味方になってやることが出来るのは監督である私であるはずなのに、その私でさえ耳をふさいでしまったら、作品が本当にかわいそうである。映画をつくるというのは人間をつくることである。子供を育てるといったほうがわかりやすいだろうか。そしてその子供を手放すとき、一人立ちさせるときそれが作品の完成である。だから我々監督(=親)は決して子供を諦めたり妥協してはいけないのである。音だとか映像とかは難しい問題ではあるがそれは基本中の基本でそれが満たされてなかったら、いくら内容が素晴らしくてもそこに触れてもらう前にその基本的な部分を指摘されてしまう。映画をつくるというのはそれほど大変なものなのである。
今回他の作品を見させてもらったが、その大変さをわかっていない作品をみると新参者の意見ではあるが、ほんとに殴り飛ばしたくなる。涙が出てくる。それと同時にこれからつくる映画と、これから作るであろう自分の子供を考えてしまい、妙な脱力感を感じてしまった。コワイ。