アナログアナグラム

shinka2007-07-31


携帯電話がぶっ壊れた。
折りたたみ式の上下が二つにお別れした。
壊していません、壊れたのですと現代っ子ぶってみても店員には効かず、結局新機種を買う羽目に。
しかし、お金がなく一番安いのをポイントを買って購入。2000円程度で済んだのは助かる。
けど、携帯電話が壊れたなんて初めての事で、やはり不便だった。
今まで自主携帯電話禁止期間などは設けたことはあったが、予期せぬ事で使えなくなったのは初めてかもしれない。
お陰で久しぶりに公衆電話を使用した。わかってはいたが、現代においては公衆電話は少なくて、探すだけでも一苦労。
さらにはプッシュボタンを押すということに若干の楽しさも感じるぐらい過去の遺物になっていて改めて驚く。
それにしてもデータが・・・。
結局、自分で一個前の携帯から赤外線通信でデータを移行したのだが、一年前以上のデータでここ最近であった人の記録が全てなくなってしまった。
携帯電話に依存するなんて嫌だが、それでも携帯は自分が生きた記録と言っても差し支えのない内容と系譜が刻まれている。
移行作業をしている際に昔のメールを読む返してみると自分がその時に感じていたことも思い出す。
メールというリアルタイムなツールを読む返すという矛盾した行為をしていても、一瞬時間の感覚をなくし、色々と考えてしまう。メールを見ている時に丁度その本人から電話が掛かってきたりすると、個人的タイムパラドックスが起きて困惑する。僕の中の彼は2006年のままなのに、電話の先では2007年の彼が話している。電話という声だけの接触もさらにこの感覚を盛りたてる。
携帯電話から郷愁を感じられるウィンドウズ世代の僕らは、間違っているのだろうか。
それでも、携帯電話はやはり、唯の道具としてそれ以上に過信・依存・固執してはいけない。
道具は使うものであるからだ。