夢の視覚性について

shinka2007-06-14


最近、疑問に思うんだけれども何故夢は映像なのだろうか。

写真でもなく、記号の連射でもなく、音楽だけでもなく何故映像として見れるのか。
それは、夢が人の記憶を基にして再現されたものだから、よって人の視覚性に依存するのだろう。
では、何故ときとして一人称ではなく、ある視点から空間を見つめるような映像が見れたり、あるいは時間を飛び越して次の場面に行けたりするのだろうか。
後者は、時間が経過していることを気付かないでいるだけかもしれないが、明らかに前者においては不思議に思う。
これは、夢が当事者の視点だけを基にしているのではなく、(その当事者の視線の先にある)映像ですら素材にしているからではないか。
だとするならば、映像が生まれる以前の人々はどんな夢をみていのだろうか。
自分の視点だけの夢をみていのだろうか。はたまたそれ以前にもやはり“ある視点”の目線で見ていたのだろうか。
仮に、もしそうであるのならば、夢というのは人間の視覚性において文明と比例して拡大するものではないだおろうか。
もっと言えば、生まれ時から盲目の人の夢は一体どのような形の成立しているのだろうか。