REAL

大学四回生、22歳、就職活動学生、未だ内定なし。
残り単位数49単位、今期取得可能単位数50単位。
他に特記すべきことはない。

就職活動は五月だけで一時終わらせて、今は単位を全取りしようと試験対策に躍起になっている。
試験が終わったら、秋採用を視野にまた就活を再開しようと気楽に考えていた。
そんな折、親から連絡があり九月にある地元市役所の採用試験を“度胸試し”で受けてみろとのこと。
なんでも此処暫らく採用予定がなかったのにも関わらず、昨今の団塊世代の大量退職に加えて、新市長の方針の下大掛かりな構造改革が行われ新職員を募集しているらしい。
全くもってどうでもいい話だ。
しかし、親はこんなチャンスはないと気楽に、そして内心熱望的に僕のエントリーを薦めている。
正直これには参った。
大学四年間、もっと言えばこの22年間、好き勝手に生きさしていただいて、ここに来て何かを強要されても文句は言えない。
彼らが僕のスポンサーであり、株主であり、絶対的な支配者である。
彼らが彼らの老後を視野に入れて、地元に呼び戻すことは当然であり、また同時にそれは“僕の将来を心配して”という建前にも還元できる。僕は三人兄弟の末っ子であるが、戸籍上は長男でありやはり扶養と介護の義務があるんだろう。

確かに輝く未来なんてものは全く見えていなかったけど、それでもいきなり目の前に黒い幕を下ろされた気分だ。
自分の人生を自分で決めるというのは、僕が思っていた以上に大変らしい。
人生において勝ち組、負け組なんて言われているけど、それはどういった基準なんだろう。
僕は唯、食って行けて天命を生き延びれれば、どんな人生だろうとそれは勝ちであり、認められるべきものだと思っていた。
しかし、人は絶対的に誰かと関わって生きていて、それを崩すことは出来ない。
親戚、家族、兄弟、血、血、血。これは何だ?それは安堵を与えるものなのか、縛られるものなのか。
自分が生きたいように生きるには、それを認めさせるだけの立派な断固とした証拠が必要だ。
それがないならば従え。
あるのならば立証しろ。
なるほど、こういうことだったんだな。