今、一発なんだ俺

私は自分で思うに、熱しやすく冷めにくい人間なんだと思う。
一度はまると、まるでジャンプを渡された少年のようにいつまでも其れに没頭してしまう。
多分、この前はラーメンズだったと思う。
とりあえず集められるだけの資料を片っ端から手に入れ、そして熱中する。
一段階目として新しいものを望み。
二段階目として今手に入る物全てに目を通し終わると、今度は何度も何度も見る。
例えばそれが映像ならば、朝起きたら再生し、寝るまで再生する。
もうそれを諳んじてしまう程に、リズムが生まれるまで繰り返す。


そして、今は三谷幸喜・・・というよりは演劇に対してそれは向けられている。
というのはここ最近、見ている三谷の作品の中にはどうも演劇を解体している
つまりはメタ演劇的な要素が多く含まれている気がしてならないからだ。
だから、私が興味を感じる点は噺というよりはむしろ、
演劇そのものに向けられていると言ってもいいだろう。
演劇はおもしろい。
多分、ストーリーを突き詰めれば、その表現形態は舞台・演劇になるのではと思う。
断固とした確証は何もないが、演劇で表現することで、よりストレートにダイレクトに
言うなれば真っ向勝負で噺を見せることが出来るような気がしてならない。
優れた脚本というのは、演劇によって完成するのではないか。
ハコの中に人間がいて、もうそれだけでお話が出来上がる。
それはとっても魅力的である。

話は少し変わる。
演劇を見ていて、最近思うのが役者の気持ちを考えてしまうことだ。
この台詞、動き・・きっと今この役者は物凄い快感を感じているのだろうな
と、そのような考えを持ってしまう。
しかし、不思議と演じてみたいと気持ちにはならない。
むしろここまで役者に幸せを与えられる事に興味がいく。
実際問題、三谷は相当役者に対して親切というか尽くしているように思える。
登場人物全てにおいしい部分を作り、尚も話の遂行を遣って退ける。
見れば、見るほど脱帽するばかりである。


はっきり言って、私のそのエネルギーの源は好奇心だけだろう。
それだけにいつか終わってしまうのではと、自分で自分の趣向の変化を恐れている。
しかし、好奇心に勝るものはない。
それは、大事にしなくてはいけない。