『ロープ /アルフレッド・ヒッチコック』

shinka2006-02-04

良く考えられている。
映画においてカットを割るという行為は、色々な意味を持つ。
それは視点を限定させ“おもしろさ”(見せるもの・見せないもの)を生み、時間・場所をまたぎ、リズムを生み出す。
しかし、この作品では殆どカットが変わらない。俗に言う“長廻し”というものだが、それすらも超越した演出である。


フィルムの長さに挑戦した今作は、背中への暗転を除くとカットが変わるのが2,3回しかない。
これは同時にこの作品が限定された空間の限定された時間、つまり個室劇を対象にしていることがわかる。
本来、個室劇は映画に向いていない。それは映画の特性、言い換えるのならばカット割りの特性を否定するものだからである。
しかし、この作品は果敢にもその限界に挑戦し、見事におもしろさを生み出している。
簡単に言えば、ヒッチコックはカット割りなしに、その効果を表現したのだ。
それは時としてカメラの手前と奥、左と右というようにフレーム内において、あるいはカメラに写らなくても後ろで話しているという“存在”において成されていた。それは死体が入っている家具の脇で話をするときも、犯人達のいがみ合いの脇をすり抜けるときにも発生する。


そして特筆したいのは、これが同時間軸上で行われることにより、より一層のおもしろさを生んでいるのだ。まるであたかも自分人身がそのパーティーに同席しているような感覚、犯人達と一緒で他の来賓の会話が、行動が気になってしまうというドキドキ感。ヒッチコックは、長廻しにおいて擬似的なカット割の効果を生み出したのではなく、そもそもに置いてこの演出が必要だからこのような形になったのだろう。


彼は天才であり、そしてそれ以上にエンターティナーである。


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