『12人の優しい日本人 (1991) 監督:中原俊 脚本:三谷幸喜』

shinka2006-01-09


やはり作品が素晴らしければ素晴らしいほど、
おもしろければ、おもしろいほど、その作品が間違った表現方法でなされていると目に付く。
もう、これは舞台だ!いや映画だ!?なんて議論は飽き飽きしているが、
それでもやはり目に付くものは目に付くし、合致した表現選択が成されていたら・・・と考えるのは誰もしても仕方がないことであろう。

間違いなく、この作品は舞台で見たかった。絶対に舞台のほうがおもしろい。
話の構成的にそうであるし、何よりも映画として見ていては気持ちが悪いのだ。
ある人が台詞を言い終わり、次の人が台詞を言うこの間に
カットが変わってしまうことで、そこまで築いてきた空気感が全て壊れてしまう。
会話の途中にカット割りによって何かがクローズアップされる度に歯がゆさを覚える。
いつまでも下れないジェットコースターに乗っているような感覚。

第一に映画化に当たって一体どのよのような処置が成されているのだろうか?
映像的と思えるのは、役者の動きに合わせられたカメラワークだけである。
唯一目をひいた―と言うよりは耳をひいた―工場の音、チャイムの音、夕方の犬の鳴き声等の細かい環境音への配慮にしてみても舞台からの演出であったかもしれないないし、そうでなかったとしても舞台だったらもっと・・・という思いがやはり拭えない。


それでも最近はちゃんとわかっている。
映画とは表現方法の一つの到着点であり、完成形であると。
誰しもが文章で書かれたものの映像を見たいという欲望はあるし、
舞台であれば之をより多くの人に見せたいという感情もある。
そして映画とはあくまでも記録行為であり、そしてエンターテイメントである。
それを映画として評価するという行為は必ずしも妥当ではないのかもしれない。


それにしても良く出来たお話だ。
この作品が アメリカ映画『12人の怒れる男』のパロディーだということは有名であっても、僕自身それを見たことがないので何とも言えないが、何もなところから関係のない人達の話のよって段々と中心の事件の話が見えてくるというのはおもしろい。
また結局のところみんな自分の話になってしまう所も人間は純粋な意味において第三者的に議論を進めることは出来ないという事を示唆していて深い。そしてこのようなシンプルでありながら奥が深く、深くありながらわかりやすい話は三谷の得意とするところである。

しかもこの作品、偶然にも現在大阪において公演中である。
機会があれば是非とも拝見したいものだ。

余談ではあるが、新春のスペシャルもあって今、「古畑任三郎」をパート1から見直している。
やっぱり、おもしろいね。


12人の優しい日本人 [DVD]

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