『TARNATION 監督・編集・主演:ジョナサン・カウエット』

shinka2005-10-05


とにかく、私はもう「カメラの位置」というものは考えないようにしようと決めた。ただ「与えられたもの」を「与えられたままに」見ようとした。
それでもこの作品は全体の1/3も必要ではない無駄な映像である。(N氏によれば2/3らしい)
この監督の気持ちは良くわかる。だから当然何をしたいのかもわかる。私も全く関係のない大勢の人達の前で泣きじゃくり、知らない人に抱き締められた事がある。だから、その意味で言えばこの作品自体に意味はない。我々に与えられたものは何一つとしてないし、介入の余地すら与えてもらえない。
これは、ある人間の伴すれば誰しもが抱える闇を映像・素材という無表情な武器で書いだ、ただ一人に宛てられた懺悔の手紙であり、エグズィクト・出口である。

こういう人間は最近増えてきている。自分の問題を両親、果ては祖父母達にまで繰り上げ、それを浄化することで自分の問題も解決しようという流れも良くわかる。(というか分かり過ぎるだろう)
ただ、問題なのはその素材を映画という作品にして、結果的にどうなるのか?そりゃーこれを見て感動?というか何かしらの感情を観客に与えられるだろう。しかし、それに何の意味がある?本当に解決したい自分自身への問題、ひいては家族への問題は残念ながら解決されないままだろう。
だから、見終わったときにどうしても話の内容だけを投げつけられた感じがして仕方がない。そこから先は何もない。気付いたときにはキャッチボールをしてた相手はいないのだ。

まぁ一応、Nしとは『見て損はなかった』という感想で落ち着いた。