沁みる文体
風邪をひいてからというもの、良く眠る。薬のせいかもしれないが、それでも十五時間睡眠というのは馬鹿げている。けれども、眠れない時というのもある。眠れない時、それでも眠らなくてはいけないという観念があるため、布団から出るわけにはいかない。すると手は自然に本を求め、目はむさぼる様に文章を追い、ただ、ひたすら、読む。
凄い。ただひたすらに凄いのである!最近の僕の見解において、文学というのは、その立場をニュートラルな場所にポジションしており、それはこの世界において、もっとも共通認識可能な記号という言語を用いて制作された言わば感覚共有における最下層手段、あるいは手段の途中形式だと考えているふしがあった。しかしながら、この作品を読んで、やはり文学というのはそうでないと改めて認識させられ、同時にその恐ろしいまでに破壊力のある“力”にただただ平伏すまでである。−もちろん、これは文学そのものについて言及しているのでなく、今の文学の現状(あるいは私がたまたま<という作為的な宣伝によって>手に取った本に限って)を示唆したものである。−
その力はまるで、あの安部公房のように、強く、美しく、そして恐ろしい。我々は彼らの文章を読んでいるときにだけ、言語はただの記号としてだけには存在せず、それは言わば世界であり、価値判断の基軸であり、あるいは辞書なのである。“文章にすがる”というこの感覚は足場が崩れてゆくような恐怖という浮遊感を与え、読書後暫しの放心状態が続く。一体、なんであったのだろうか、あの嵐のような情報と感覚の一体化による乱れ!は。読んでいて狂いそうになる!頭がおかしくなる!吐きそうになる!やはり!文学は凄いのだ!危ないのだ!
社会(あるいは常識と信じている事実)に対して矛盾する本などは発禁にしたらいいのだ!それが例え嘘まみれの平和であり、幸福であってもこんなににも悩まずにすむのに。
別段、この本がそうであるといているわけではない。ただ影響力の大きさを言ったまでだ。あぁ、なんという稚拙な文章!こんなものは絵でしかない!いや、落書きである。
三島の作品を三島の作品だと思って、読むことは初めてだ。とどのつまりのところ、初めてだ。だから、この作品化他の作品と比べてどうであるかなどというのは、全くわからない。それでも、この作品は“違う”というのがわかる。綺麗過ぎるのだ。解説によれば、この作品はある昔の戯曲のオマージュらしく、それに忠実にのとって書かれえた文章は文学というよりは言わばシェークスピアのような形式で存在するらしい。
それにしても、なんと丁寧でなんと心地よい文章であろうか。とくに話の説明後に付け加えられる一文は、本当に綺麗で同時にしみる。言葉がしみてくるのである。僕は現代国語の「この時の筆者の思いが適切に表現されている一文を抜きだしなさい」という質問等は愚問だ!などと考えていたが、それでも潮騒には、その情緒を端的に美しく表現してある一文が所々にある。この一文を読むたびに、僕は、驚く、事に、幸せを、感じたのである。本を、読んで、幸せを。
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