部室Ⅱ そろそろ限界か

shinka2004-08-06

今日も朝から撮影。こうやって連日撮影出来る事を何よりの幸せだと感じる。しかし、そういったものとは裏腹に疲れは凄い。この日体温は36.8まで下がり、後少しだ。まだ頭痛はする。本日も部室の撮影。昨日の取り残しんどとドンドン進めてゆく。が、この暑さである。準備など仕事の多いスタッフはもちろん、冬服着用のキャストもしんどいはず。みな一杯一杯の中での撮影。ドンドン顔色、きれ、言動、余裕がなくなってくる。撮影は一触即発、あと少しで溢れるところを行ったり来たりしている。が何故かふふふ、と笑ってしまう。なんて楽しいんだ。ギリギリの中での撮影。なぜかわくわくとしてしまう。けど、動かなくなってしまったら終わりなので、途中何度も休憩をいれる。これによりまたしても予定が押し、本日も押しで終了。
他の監督さんの撮影は二、三人しか知らないが、もっと上の先輩監督でとても“楽しい撮影”をしてたらしい。みなワキアイアイで、撮影合宿なども行い、参加した人々は口々に楽しいともらす。私は自分の撮影は楽しいと言ったが、それは監督私が“おもろい”だけであって客観的にみても“楽しい撮影”ではないと思う。どちらかと言うと段取りが悪く、思いつきで脚本・カット割りを変更し、役者には無理難題を押し付ける。帰り道、考える。“楽しい撮影”とはどんなもので、それによりどういった効果(スクリーンに映し出される映像−あるいは他の要素−にどういった作用があるのか)があるのだろうと。必要・不必要。わからん。けど、誰だって楽しい・楽しくないだったら楽しいほうが良いに決まっている。
これは前の作品の撮影のとも感じた事があるのだが、長い脚本で、その撮影をドンドンこなしてゆくと、ある期間からどぷしよもない“脱力感”に襲われる。なにか意味のない事をやっているのではにか、自分は「ただ箇条書きにされた項目をうめるような」、消化試合をこなしてゆくような無意味さ・脱力感を感じる。今回もまた感じてくる。すべて完成にまで報われないものなのか。ひょっとしたらこの脱力感の解決策こそ、その“楽しい撮影”かもしれない。