デス電所第16回公演 『輪廻は斬りつける(再)』

『輪廻は斬りつける(再)』

再演ということで、それなりに“自信がある”ものなのでしょうが、
はっきり言って意味がわかならない。
意味不明とは何もないではなく、意味不明という感想を抱いている。
話自体が風呂敷を包め直せたのか、
あるいは我々が風呂敷を綺麗に締めなおせなかったのか、
とにかく滅茶苦茶でテーマ性が他の部分と混ぜこぜになり混沌としている印象を受けた。
再演に当たって改変した部分がそう作用させている気もする。


しかしながら、今回の機会は中々勉強になった。
やはり演劇というものは確実に“限界”というものが存在する。
そして、それは容易に超えられるものではなく、また素人であっても実感してしまうものである。
それは否定的な意味合いだけを言っているのではなく、最高が限界という壁をほぼ同時に意味するやるせなさなのだ。
何故ならば、演劇とは“人間”そのものであるからだ。
あくまでも人を完全に主体としている以上、それよりも上は存在しないことと一緒なのだ。
今、この瞬間に集まった人間の最高のパフォーマンスを人間が吐き出し、
それを人間が吸収するという完全無欠の短縮直撃構造において、逃げる・頼る・嘘をつくことなど不可能だ!
だから最高とは同時に悲しい事実なのだ。
※これは今回の内容・出来とは全く関係のない考えで、ただそのように実感する機会を得たということだ。