世界を見た日、僕は (前半)

shinka2005-04-02

先日、名古屋で開催されました愛・地球博(万博)のほうへと行かして貰えました。大阪から二時間弱で会場へ到着してしまうので、以外と近いのだと実感しておりましたら人人人の嵐であります。「人間がごみのようだ!-あるいはごみのような人間。」平日の月末によーまぁこんなに人で溢れるものである。さて、話は変わるが私は人混みというものが大嫌いである。そして人が集まるアミューズメントパークが特に嫌いで、ドンドン気分が滅入っていきます。今回もそのような気分になってしまったのですが、この度におきまして何故そのような気分になるのかが明確に分かったのとです。それは“自分が決して特別な人間ではないと気付かされてしまう”からなのです。多くのゴミのような人間の中にいる自分、入場料も並ぶ時間もすべて平等にされてしまう自分、いやむしろ積極的に楽しもうとする人の前では自分などは並ぶのなんてめんどくさいと思っている時点で負け犬、−そうつまり娯楽施設に行って思うことはどこまでも平等な接し方と、、また自分以外の人間の汚いエゴイズム、そしてそいつらと同じ階級の人間だと思わされてしまう程の近さ、これが結局私を自分は凡人であると気付かせてしまうのだ。それは、私にとっては物凄くショックなことである。
確かに自分が特別な人間でないことなんていうことは百も承知である。しかし、そう思わなくてはやっていけないのです。そして自分が創り上げた半径自分の腕一本分の長さの中では、その偽りの天才を演じれるのです。しかし、それ以上の世界となるとやはり自分はそうでないと気付かされてしまう。私は決して世界の中心ではないことに気付く。今回はそのようなお話です。

つづく